水前寺成趣園とジェーンズ邸 熊本・天草旅行(1)










2泊3日で熊本・天草へ家族旅行したときのことを断続的にアップしています。

早朝7:10に成田空港を飛び立って熊本空港へ。
市内へバスで向かって、最初に行った先は「水前寺公園」


◆水前寺成趣園

正式名は「成趣園」。熊本藩主・細川家が作った庭園です。

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水前寺公園への参道
公園へ至る道を「参道」というのは変ですね。

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ここには「出水(いずみ)神社」があるので「参道」と呼ばれてます。
出水神社は後で参詣しますけど、熊本藩の歴代藩主を祀っている神社です。

以前にあった石造りの鳥居は熊本地震で倒壊し、2021年にヒノキ造りの鳥居が再建されました。
危なくないように木造になったそうです。

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扁額の「出水神社」の文字は、元総理大臣の細川護熙氏が書いたもの。
細川家第18代当主ですからね。

ちなみに「水前寺」という地名は、平安時代に実在したお寺の名の由来するそうです。この鳥居の北に、水前寺廃寺跡があるそうですが、知らずにパスしました。


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ということで、水前寺公園内へ。
公園へ入る前に、参道でおやつを買ったんですけど、それは明日の記事で。

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園内はとても優雅な庭園です。
阿蘇の伏流水が湧き出ていて、それが大きな池を成しています。
奥に見える円錐形の小山は富士山を模したものですって。

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池の面積は1万平米もあるんですって。

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池を中心に築山、松などを眺めながら散策ができます。

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きれいに手入れがされている。だから美しさが保たれているんですね。


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梅の花が綺麗に咲いています。

右に見えるのは出水神社の鳥居。
ここにも石造りの鳥居がありましたが熊本地震で倒壊し、2020年8月にヒノキで再建されました。
その扁額の「出水神社」の文字も、細川護熙氏が書かれたもの。

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出水(いずみ)神社

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1877年2月から9月まで続いた西南戦争で戦場となった熊本の復興のため、1878年に創建された神社です。
当初の祭神は藩主の初代から4代まで。後に歴代藩主とガラシャも合祀されました。

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カミサンは御朱印をいただきました。

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園内には流鏑馬の馬場があります。

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能楽殿

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出水神社の創建と同時に能楽堂も建てられましたが、1964年に火災で焼失。
現在のものは、細川家家臣の松井家にあった能舞台を1986年に移築したものです。


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立派な茅葺屋根の家。

ここは古今伝授の間
1912年に京都御所内から移築されたもの。

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ここから眺める風景が最も良いと言われているそうです。

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ここでお茶でも・・・と思ったけど、カミサンはパスだって。

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入場は無料なので入ってみました。

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眺めを楽しんでいる方々の前を無作法に通り抜けるのは気が引けたので、ここまでで引き返しました。




◆熊本洋学校教師ジェーンズ邸

水前寺公園を出て、洋館好きのカミサンの希望で、すぐ近くのジェーンズ邸へ。

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1871年(明治4年)に建築された建物で、熊本県内に現存する最古の洋風建築です。

熊本県が1871年に開設した熊本洋学校に迎えた外国人教師ジェーンズと家族のために建てられた住宅です。
ジェーンズは元アメリカ軍人で、英語、数学、地理などの授業をすべて英語で行なったんですって。その授業を受けた学生はすごい。

1872年に国が学制を施行して学校予算が廃止され、その後は旧藩主で熊本知事の知事の細川喜廷が私費を投じて運営を継続しましたが、1876年(明治9年)に閉鎖された。短期間の学校でしたが優れた人材を輩出しました。

建物は、当初は古城(ふるしろ)(現在は熊本一校の場所)に開設され、その後、所有者が変わりつつ移築され、1970年に水前寺成趣園の東側隣接地に移設されました。
しかし熊本地震で倒壊し、ここ水前寺江津湖公園の一角に移設復元され、2023年9月にオープンしました。

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建物は、移築ごとに修理され、色も塗り直され、建築当時のものから変化していた。
熊本地震後の復元に当たっては、新築当時のモノクロ写真を画像解析して、当初の壁の色、柱の色、建築方法を忠実に再現したそうです。



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